Topごあいさつ社団法人 香川県建築士事務所協会  賛助会会長あいさつ

社団法人 香川県建築士事務所協会  賛助会会長あいさつ

2009年挨拶

 

薩摩路の散策 

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香川県建築士事務所協会
賛助会 会 長 福 本 富 雄

 
 
平素は(社)香川県建築士事務所協会賛助会の活動に御協力を賜り厚く御礼申し上げます。
 今は世界中が同時不況で日本の基幹産業とも言うべき、電気、白動車、鉄鋼等全ての産業に不況の波が押し寄せています。特に建設業界は構造偽装の問題に端を発してから、国内の不況とも合わせ建築工事の中止、延期等の問題と明るい材料は何一つありません。耐えて頑張るしか方法がないように思われます。
 私は鹿児島重富島津家伝来の太刀を一ロ持っていまして、一度「重富島津」を訪ねてみようと思い、昨年10月に篤姫最盛期の鹿児島に行きました。その太刀は戌辰戦争時に京都の三井家に千両の借財の形に預け入れた太刀です。指定名義は「三井家」になっております。我々の言葉で言うなら質流れとでもいうものでしょうか。
 鹿児島へ行く前に少し調べてみました。島津総家には四家あり、筆頭に重富島津家、加治木島津家、垂水島津家、篤姫の里の今泉島津家、とあり藩主に跡継ぎが無い時は四家の内から出す、徳川御三家と同じ役割を持っていました。島津氏は鎌倉の源頼朝から薩摩、犬隅、日向の三国の守護職に任ぜられ、明治の廃藩まで長く続いた事で他藩に比べ武家が際だって多く43、000戸余りと113の外城がありました。武士でありながら百姓から行商人までいました。仕事の間に武道の訓練を麓(府元)で行っていました。鹿児鳥空港でレンタカーを借りて、霧島温泉で宿泊、翌朝霧島神社に参拝し、いよいよ念願の城趾巡り。重富は町名かと思っていたのでなかなか見つからず、始良町平桧、重富龍にやっと着けば、「御仮屋」跡地は小学校になっていました。 学校の前面は広い道路で馬場と思われます。武家屋敷は1m余りの高さの石垣を廻らし整然と区画がなされ、武家屋敷の一群の中を歩き雰囲気を充分に満喫しました。 学校の脇の案内板によると、右奥にある小さな険しい山頂が岩剣城、島津義弘の初陣で日本で初めて鉄砲を使って戦い、祁答院(けどういん)氏の城を破って以後島津義弘がさらに名をなしたと言われています。左に桜島を見ながら一路市内方向に向かう途中で、島津家別邸仙厳園を見学しました。磯御殿の庭から錦江湾に浮かぶ雄犬な桜島が見事で暫く見入っていました。夜は天文館で薩摩料理、最後に薩摩ラーメン、美味かったな‥・
 最後は出水に行きました。肥後熊本の国境にある出水は島津藩の最強で最大の麓でかなり大きな区画でした。ここも「御仮屋」趾は学校になっています。犬きな屋敷趾は千坪、次が五百坪、順次小さくなっています。出水麓は古い町並みがかなり残っていました。篤姫が御輿入れの撮影場面の門構えの家も拝見しました。鹿児島市内の県博では篤姫展を見学して帰路に付きました。
 最後になりましたが(社)香川県建築士事務所協会の益々の御発展と、会員各社の御繁栄を御祈念申し上げ御挨拶と致します。
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2008年挨拶
 
奥出雲の炎


 平素は社団法人 香川県建築士事務所協会賛助会の活動に御協力を賜り厚く御礼申し上げます。
 昨年6月の建築基準法改正以降工事の出件が無く、やっとここに来て少しずつ新しい物件が出
た様に思われます。
 賛助会の活動も2年目に入り、会員も新しく40社程入会を頂き、少しずつ活動の輪が広がってきております。会員間の交流を含め事業計画を基に賛助会の基盤作りを会員全員で進めて行きたいと思っております。
 話は変わりますが、NHK教育放送で放映されていますが、今年の2月初めの週末に奧出雲町の「日刀保たたら」の見学に行きました。
「たたら」は日本で只一ヶ所の大臣認定の玉鋼製造所で製造責任者(村下 むらげ)は国の選定保存技術者です。 炉は船型で巾三尺、高さ四尺、長さ十尺程です。炉に火を入れて三日三晩約70時間休み無く続けます。1回の操業を一代(ひとよ)と言い、冬の時期に今年は3回(三代)操業しました。砂鉄約13トン、木炭約13トンを使い、出来上がる鋼が約3トンだそうです。出来た良い部分を玉鋼といい主に日本刀の材料となります。
 炉は鞴(ふいご)から送られた風でブォー ブォーと唸り音を立てながら炎が1.5m程の高さまで上がります。30分間隔で砂鉄、木炭を炉に村下が一面ムラ無く入れていきます。真っ暗な工場の中で炉の火との壮絶な闘いが幻想の世界に導いてくれます。 見学が終わり夜も暗くなって山奥の民宿に向かいました。道路は除雪を行っておりますが脇には1m程雪が積もっています。
 宿には温泉が湧き20名程の宿泊客でした。夕食を済ませて翌朝4時に起床、凍った道を慎重に運転しながら工場に向かいます。
 炉の炎は昨夜とは違い小さく鞴で吹く風音だけがビュービューとうなっています。やがて火を止めて6時から炉を壊してケラ(鋼の固まり)を出します。出来上がった真っ赤なケラを目前に観衆一同から大きな拍手が沸き上がりました。
 やがて村下が「福本さん 今回が一番良いケラが出来ましたわ」三日三晩不眠不休、顔は目がくぼみ、頬はこけ、埃と汗で顔は真っ黒、しかし村下の顔には大業を成し遂げた満足感が満ちあふれ、眼はにっこり笑っていました。 厚くお礼を述べ、宿に帰り朝風呂で埃を落とし朝食、「さあ、帰ろう」と外に出ると山は真っ白、我が地では見ない銀世界「すごいなー、こんな雪の中に居たんだ」
 帰りは足立美術館で横山大観の絵を鑑賞し、二日間の旅を堪能して帰路に付きました。
 私は来年も行く予定ですが、機会があれば会員の方も見学を是非如何でしょうか。

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この記事について

このページは、sekkei-kagawaが2008年5月16日 11:09に書いた記事です。

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