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瀬戸内国際芸術祭に参加して

野村 正人
野村 正人
野村正人建築研究所

img-01-002.jpg 瀬戸内国際芸術祭は3回開催され、世界にも広く知られる芸術祭となりました。第1回瀬戸内国際芸術祭は高松市沖の島を中心とした芸術祭としてスタートしましたが、私はその時は善通寺と中心に設計活動をしていまして鑑賞者として小豆島、直島の作品を訪ねて参りました。その時感じたことは、地域芸術はフランスなどでエコミュージアムなどがあることは知っていましたが感動の連続でした。第2回の2013年からの芸術祭は中讃、西讃エリアに広がることが発表されました。その時はすでに高松で設計活動を始めておりましたが、一般公募で瀬戸芸に応募しました。東京の坂倉事務所での修行の後、郷里の善通寺に帰郷して以来瀬戸内海の島々を巡っていました。その当時からヨーロッパの地中海より素晴らしいと語っていました。

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 特に高見島の浦集落の斜面は男木島より急斜面で、独特の景観を生み出しています。つまりどの家からも海を臨むことが出来る集落があり、高見島を選び「島時間プロジェクト」というタイトルで応募しました。また高見島は過去には1400人の人口でしたが、今や30人まで減少しています。なんとか人口減少を食い止めようとしてのまちづくりがテーマでした。しかし一般応募者の新聞発表は遅く、私共のチームは無理かと諦めていました。ある日の夕方、突然北川フラム氏から直接私の事務所に電話がかかって「君の応募作品を瀬戸芸に採用するから今すぐ事務局に来るように」との指示があり、息子や関係者に声を掛け夜9:00に面談に参りました。緊張の余り内容は余り覚えていませんが、とにかく北川フラム氏のお褒めの言葉があり、喜びの気持ちいっぱいでエレベーターまでフラム氏に見送られ解散したことを思い出します。その時の応募者数は700件以上ありそのうち採用は20件で35倍の確率だったようです。その後何回かの打合せの中でタイトルを絞り込み、「海のテラス」が決まりました。高見島の浦地区の高台の古民家の前庭をテラスに改修して、イタリア料理を提供する食プログラムとして決定されました。フラム氏のいわゆる食も芸術であるという理論にもとづくものです。

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 計画案が決定され、いよいよ制作段階に入りましたが、まずはテラスになる処や庭になる処のツタやバラそして雑木を切出し処分に3か月掛け、すでに秋開催なのに4月になっていたと思います、そうこうするうちにアートフロントが視察に来られ発破を掛けられ、作業をスピードアップしました。こえび隊、地元の応援団、プロの大工にも入ってもらい、少しずつ目標が見えてきました。テラスや鏡を使ったアート、離れの改修が終わりのころにはメディア(新聞、テレビ)にも紹介されました。いよいよ10月8日の開会式の後は、浜田県知事、福武惣一プロデューサー、北川ディレクターその他国会議員、県会議員が海の見える離れでイタリアンを楽しんで頂き、評価も高い中スタートを切ることが出来ました。会期中は多くの人々が訪れ約300食/日の食事が出て長い行列が出来る状況が続きました。会期の後半に北川フラム氏が高見島に来られ「海のテラス」を継続事業にするがどうだろうか?との問いが有り快く受けました。2014年にはアートセトウチがあり、FM香川主催の高見島再生プロジェクトがありました。
 2016年、第3回瀬戸芸は運営も島の人々や香川短大の学生、地元のお母さんの力など自力で運営して本来の瀬戸内国際芸術祭の主旨に近い形を取ることに決め、トマト、ジャガイモなど島で取れる食材は島のおばあちゃんに畑をお借りして生産しました。

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 ただ、食プログラムという技術を要する内容ですので中野誠司氏(ケータリングシェフでフラム塾卒業生)の指導を頂いた。今回の改修は集落に向けての開口を作りその窓にテーブルを取りそこで食事を楽しむコーナーを制作しました。

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 現在、2019年の瀬戸芸の準備が始まりましたが「海のテラス」の民家を売り出すことになり会場移転する予定です。こうして瀬戸芸に2回参加しましたが、まちおこしの難しさを実感しました、島の人々との付き合いをしてみて不便なところだからこそ見えてくるものが有り、島に通うことより島がかつて伝建に選ばれた集落の魅力が理解出来てきたように思います。そして高見島の街おこしを建築設計活動と共にライフワークとしていくことを考えています。そして私事になるかもしれませんが、現代アートの力で北海道の室蘭のまちおこしを市長に声を掛け、昨年は北川フラム氏の講演を開きました。今後瀬戸芸に参加した経験を生かしまちおこしの手掛りとしたいと考えています。


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趣味のひとりごと

伊牟田 隆
副会長 伊牟田 隆
(株)日鋼サッシュ製作所

  平素は、(一社)香川県建築士事務所協会の活動に御理解と御尽力を賜り、誠にありがとうございます。
 今回、歴史ある会誌「さぬき」に寄稿させて頂く事となりましたので宜しくお願い致します。
さて、私の趣味は在り来たりではありますがゴルフであります。
 と言いましても競技ではなく純粋にスポーツとしてさせて頂いております。
 当初は、父親に誘われて練習場に行ったのがきっかけとなり社会人になったのを機に本格的に始めました。
 ここでやり始めて20年になった今、この様なお話を頂きましたので改めてゴルフに関して少し調べてみようと思いましたが、実は諸説が色々あり起源がはっきりしないようです。
 発祥の地としては、オランダ・イギリス・フランス・イタリア等様々です。(何と、中国という説もあるようです。)
 現在のスポーツとしての形になったのは、御存じの方もいらっしゃると思いますがスコットランドとなっています。
 そこにある「セントアンドリュース・オールドコース」が今でもゴルフの聖地と言われる所以だそうです。
 また、ゴルフにまつわる数字というのも気になるところですよね。
 18ホール、パー72、14本など・・・
 調べてみると気になる事が沢山あり、こういうのも興味をそそられる所です。
 先ほどのゴルフの聖地「セントアンドリュース・オールドコース」は当初12ホールから始まりそこから改造を重ねて22ホールにまでなったのですが、広くなりすぎた為か市民生活に支障をきたしているとの理由から市にコースの一部を返還しなくてはならなくなり、その結果18ホールになったそうです。それ以降これをひとつの基準とするようになり今に至るという説があるようです。

img-02-002.jpg 42.67mm以上のボールを(過去にはスモールサイズ41.15mmもあった)108mmのカップに少ない打数で入れるという単純なスポーツにも関わらずこれほど多くの人を引き付ける魅力はなぜでしょう?(しかし、108mmが煩悩の数とはまた意味深です。)

img-02-003.jpg 理由は、人それぞれあるでしょうけれども私が感じる所では年齢も性別職業異なる人たち・仲間たちが一緒に緑と青空の下、四季折々のゴルフ場歩き回ってプレーを楽しめる。これに限ると思います。
 そして、個人的関係が構築されやすいとも思います。現に今年入って日本国首相とアメリカ大統領が首脳会談をした際にゴルフをしたという事で大変大きなニュースになりました。
(評価は色々あるでしょうが・・・)
 また、人間性と言いますか心を鍛えさせてもらえる所もゴルフにはあります。
 初めたての頃、うまくいかない自分に腹をたてて同伴競技者の事など忘れたかのように当り散らかしていた頃がありました。
 しかし、諸先輩の方や上級者の方と御一緒させて頂く機会が増えるたびに自分の未熟さに気づかされました。この事は社会人として生きていく為の肥しにもなりました。
 今後は「奇跡」「偶然」「たまたま」「ラッキー」の言葉を強く信じてゴルフに精進しつつ、まだ行っていないゴルフ場に行きそこの御当地のおいしい食べ物を食べ楽しいゴルフライを送れる様日々努力していく所存であります。

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自分の声を聞く・・・・・・古希を迎えて いつの間にか・・・お気に入りに囲まれて 揺らぎ・・・の感覚 生き方に想う

入江 丈水(英樹)
入江 丈水(英樹)
空間工房+草sohまちづくり研究室

 還暦から私の設計生活に大きく軌道修正をかけてきてから・・・気がつけば 古希を迎えようとしている・・・ 早いものである。
 教職歴から・・・職住一体でのアトリエ設計事務所に憧れて40年余・・・結構充実した設計生活を送れたことに感謝しつつ・・・団塊世代の私が70を迎える年になって少し緩んで来ていたようだ。 このエッセイを依頼されて、杖に頼るようになってきた自分を 改めて思い知らされた感がある・・・・・
 平均健康寿命70歳・・・以前聞いた言葉が頭をよぎり・・・私の生活・仕事の周辺から自分を見つめ直し、これからの人生・設計生活を改めて探ってみたいと思った。
 この頃、テーブル脇に置かれているのは 
「神々の譜・・・・・シルクロードの印章」、「白川義員作品集 新約聖書の世界(遺跡写真集)」、「古墳の暗号」等 の史跡関連書、古代美術関連のコレクション集等・・・
 芸術系書籍・・・それも原始美術、民族芸術系が多くなってきている。そして、地球儀、世界・日本・各種地図帖、古地図、文様関連、風水羅盤が隅の方に控えている。
 そして、アトリエ応接兼ギャラリーと書斎には、とりあえず置けるだけの本が詰め込まれている。
 ・・・ル・コルビジェ全集(8巻)、フランク・ロイド・ライト(12巻)、村野藤吾図面集(8+6巻)、中国古建築図集(原書 10巻)、Modern Architecturein Drawings(50巻)・・・等の全集ものと実務資料等はともかく、あれほどあった一般専門書の類・・・は奥へと押しやられ、建築学大系(改定・40巻)、ブリタニカ国際大百科事典(6+24巻)・・・等に至っては手の届きそうもない所に追いやられている。
 プライベート書斎は無論だが使われなくなった子供部屋二つとも収容しきれない専門書、建築雑誌等の書庫がわりとなっている。
 気付けば、読む本のジャンルは随分と変わってきたものだ。 作品創りには、ノイズレスな手法をデザインに求めながらも 素材・装飾といったものの発振・・・空気感(方向性のある揺らぎ・・・の感覚)を重視してきた。 これからもそうした私の設計スタンスのベースは変わらないと思っています。
 本に囲まれて40年余・・・ 父(稔)の代からの専門書、洋館の設計資料等、古い新建築等の雑誌類、学会論文集等、大工でもある祖父の残した各種資料が増設物置にまで不自由な棚位置で埃を被っていて・・・稀に探して・・・という状況である。
 そして、手に取りやすい位置に並んでいるのは、内井昭蔵(カバーにイコンが埋め込まれた作品集、ロシアビザンチン―黄金の環を訪ねて (建築巡礼)、ドローイング集、ディテール集等・・・)、スカルパ、タウト等、気に入った展覧会図録等(円空木喰の一木彫・・・「一木にこめられた祈り」の 特別展 仏像 等)はたまに手にするがその内容も随分と変わってきたようだ。
 設計図書、書類等も膨大になり以前はスタッフ等に任せて・・・ということもあって書類等があまり把握出来ていないこともあり、還暦頃から徐々に事務所内の整理・処分等については考えてきたが古稀を迎えて思い切った整理を加速させている。
 ・・・コピー機の入れ替えもままならない状況となってきた事もあるが・・・
 整理中には、懐かしいものが時々出てくる。つい目を通しだすとやはり見入ってしまう。プレゼンパネル、写真パネル等は嵩張りすぎるが懐かしく処分するには抵抗がある。40余年に及ぶ積み重ね分の整理とは大変な作業だと痛感しています。
 以下、思い出の挿画・写真についてコメントしておきます。

・尽誠学園記念体育館(私の処女作「作品№0001」でもあり特に思いの深い作品です・・・香川県建築士会優秀作品賞)作品パンフの一ページ。
 この10年後に百周年記念武道館(淳風館・・・香川県建築士会優良作品賞)が竣工・・・学園のキャンパスを介して、互いの存在を確認しあうかのように正対して佇んでいる姿は、私にとって忘れられない風景の一つになっています。

img-03-002.jpg ・宗教建築・空間への関心が多様に拡がり寺社巡りに嵌りだした時代(35年ほど前)の思い出の禅宗寺院計画作品(第一段階・・・山門、参道関連等は敷地関連で未定のまま)・・・この後一期工事(衆寮)が着工。寺社巡りは現在も継続中・・・

img-03-003.jpg ・エントランスギャラリー 奥に あり胡同(読書・観賞コーナー・・・)
 錆石地蔵、トルコインドの魔除け・・・等を始め四季・暦・・・等により設えが変わる・・・  多くの小物たちが迎えてくれる。

img-03-004.jpg ・研修旅行のひと時・・・レコンキスタの狭間にて・・・
 何かの・・・ 感覚・気づき・・・等も探ろうとしての旅先で・・・

img-03-005.jpg  職住一体のアトリエ兼住居ならではの・・・やはりお気に入りの場(・・・癒しの場・・・身体感度の上がるような感じの場)・・・というものを設え、そこここに配してきた。 出来る範囲での増築・改装等ではあるが、ほぼ18年毎に相当量の模様替えを重ねてきた。そうしたサイクルは性に合っていたようである。季節を感じつつ、四季・暦・節句・・・等を踏まえながらの拘りの演出・・・  似合う小物たちも控えめながら・・・場の情景を生活に取り込んでいる。

 打合せ場兼サロン吹き抜けに面する、浮遊感のある踊場コーナーデッキは気分転換用として 絵本(洋書・・・国、作家による多様な感性に魅せられる・・・)、癒し系の本類と、ヒーリング曲CD類が並んでいる。・・・
 これは 洸雲の座 と名付けて(気恥ずかしいが・・・)気に入っている。吹き抜け空間の要部に配された写真パネル(特殊撮影されたダイヤモンド讃岐富士・・・撮影山田耕治氏)が後光(洸)のような神々しさを発振している。そして眼下のハンモックはテレビ観戦の椅子替わりともなり、真似事の空中ヨガにも役立っている。

 そして、隣接して事あるごとに利用する・・・瀬戸内の島々を遠望できる止まり木的な踊場腰掛け出窓・・・・・・この40年ほどで建物も増え、徐々に観えにくくはなってきたが・・・ 丸亀港、多度津・・・の花火等では絶好のビアカウンター席となる・・・  ・・・なっていたが、最近は中三階ロフトの二つの小さな展望デッキ(水月巣、暁月巣と呼びお気に入り席でもある)が眺望の良さもあり指定席になりつつある。

 猪熊弦一郎現代美術館の空間が好きで時々立ち寄っている。展示された猪熊の小物たちも私の好みに合い、結構癒されている。
 そしてカスケードプラザに取り込まれたような心地よい空間のCafé MIMOCAで寛ぎながら、展示中の図録を捲るのも好きである。

 五色台連山、飯野山、大麻山(象頭山)、五岳山、天霧山等の山並みと、瀬戸の島々に囲まれて、中讃地域で育った私にとって瀬戸の海と島は、原風景の深い背景も併せ持っている
 そのせいかアトリエ書斎には 瀬戸内関連書等が自然と纏まってきている。
 塩飽-シーボルト『江戸参府紀行』より・・・・・・から始まる「塩飽の船影―明治大正文学藻塩草」平岡 敏夫、 技術の風土記「塩飽本島泊の芝居小屋」普請研究第十七号:普請帳研究会、 「塩飽史年表」塩飽史談会編h23.6、 「塩飽海賊史」真木信夫、 「発心野田大燈-喝破道場草創十年」野田大燈・・・題字・挿画の和田邦坊氏自宅の赤い襖が懐かしい。 「瀬戸の海明かり」香川県建築設計監理協会、 「丸亀 郷土の歴史を彩った人々」白川悟、 「四国の建築工匠 調査研究報告書」昭和54年 日本建築学会四国支部建築工匠研究委員会、 「四国の民家 建築家の青春賦 」日本建築学会四国支部、 「香川県の近代化遺産―香川県の近代化遺産(建築物等)総合調査報告書」2005年 香川県教育委員会、 「香川県の近代和風建築―香川県の近代和風建築総合調査報告書」2010年 香川県教育委員会、 「塩飽物語」・「神々と仏たちのふるさと」塩飽の見どころ聞きどころ」等・・・よねもとひとし、 「木烏神社 異形鳥居の源流を求めて」香川県文化財保護協会文化財協会報、 四国新聞連載の冊子「古いにしえからのメッセージ」県埋蔵文化財センター, 讃岐国府跡、古代寺院、遺跡関連の講座(丸亀・坂出・高松市教育委員会、県埋蔵文化財センター等)・・・現地説明会・報告会等、 「古寺全集」 「古地図展」 「讃岐国分寺の考古学的研究」渡部明夫、 「英知 創造 愛・・・時にふれ 人にふれー」金子 正則、 「双陽の道大久保諶之丞と大久保彦三郎」馬見 修一、 香川県重要文化財耐震予備診断業務、 「瀬戸内海―海と人の歴史」香川県立ミュージアム講座・・・古代の海の道、 市民講座 讃岐の古代:藤井雄三、 「郷土の未来文化遺産」を考えるセミナー(中津万象園)、北前船関連、郷土写真集等 が目に留まる。

 この数年は(膝腰を庇いながら、杖も携帯して・・・)足腰が弱らないようにと散歩、散策・・・できれば自然の中での・・・にはまっています。 そして、どこに行くにも一眼レフカメラを携えています。
 昨年は、久々の瀬戸内国際芸術祭も三度目でもあり親しい人達との話題でもありました。夏会期は犬島、豊島でしたがあまりの暑さに(年のせい・・・)閉口して残りを秋会期に廻した為、紅葉シーズンと重なり...10月からは忙しい毎日でした。
 カメラ片手の紅葉散策ルートは、蔵王(山形)から最上川、銀山温泉郷、平泉、厳美渓、裏磐梯、日光山輪王寺 等、階段等も多く杖との格闘でもありました。
 その前年は、宝福寺(雪舟の鼠・・・)・補陀洛山圓通寺(良寛ゆかり・・・)・寒霞渓・石鎚神社・上,下賀茂神社(式年正遷宮)・北野天満宮・法泉寺(三色紅葉・・・)・本, 深耶馬渓・菊池渓谷(九州の奥入瀬・・・・・・今回の地震の被害は残念です)・仁比山神社(九年庵)・光明禅寺(苔寺)・郡上八幡・五箇山集落・兼六園等・・・
 さらにその前年は、寒霞渓、五色台雲辺寺、伊豆・熱海・鎌倉等・・・。
 駆け足が殆どでしたが、時々目の覚めるような逆光の陽葉のほころびにも感動を覚え、シャッターチャンスに恵まれることもありました。
 今年の観桜・撮影予定は 涅槃桜(善通寺・ミョウジョウジサクラ)、綾川西分のしだれ桜、高知牧野公園、仁淀ブルー(川)界隈・ひょうたん桜等、しまなみ海道の島々の桜、・尾道界隈等を駆け足で・・・ 考えています。
 厳島神社散策で天霧石の説明を受け、讃岐でも意外に知られていない十五丁石(天霧山)を想うと、親近感も増してきた事を思い出しています。

 観桜会、観月会、家族会等でも心和むひと時を頂いてきたロータリークラブ歴も今年31年目を迎え・・・これからも長いお付き合いになりそうですが・・・感慨深いものを感じています。
 そして、私にとって設計とは人生そのものと言えるようなものではなかったか・・・と思うこの頃です。


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微笑みの国 赤い夕陽の独り言!

井上 輝幸
井上 輝幸
T・R建築設計(株)

 東南アジアの中で日本に一番近い国、マレーと中国文化の血を引き、スペイン、アメリカの統治を経て、深く欧米の影響を受け独特の文化風習を持つ〝フィリピン〟関西国際空港から約3時間半で首都マニラに到着し、短時間で南国情緒満載の世界有数のリゾート地にいけるのにいまいち人気が無いなーと思うのは僕だけかな~。

img-01-002.jpg  7,000余の島々からなるこの国の人々は、ちっちゃい子もネ-チャンもオッチャンも皆な笑顔、笑顔、笑顔、とにかく純粋なのだ、日本もこんな時代が有ったよな、でもこの国では今も当たり前のことなんだ「マブーハイ」
 マニラ空港では入国審査を待つ人の数にビックリ!10列ほどに70~80人が並んでいて約700~800人が狭い場所に詰めているのだ、これが世界中から一日何便も来るのだから国際都市マニラ恐るべし。
 ヌボーと人の頭を見ていたらモグラたたきをしたくなってきて思わず鼻をつまんでしまったのだ!
 僕はマニラでの宿はどっちも空港から約1時間のパサイシテイのヘリテイジホテルかイントラムロスのマニラホテルと決め打、理由はヘリテイジホテルの近くには日本大使館があり歩いて15分位の湾岸沿いには大型ショッピングモール〝エイジア〟があり映画館のおまけ付、日本には無い物が結構あって安心と生活の為に選んでいるのネ、マニラホテルは結構古く警備は万全、朝飯はバイキングスタイルで豪華絢爛?原産のマンゴーはオレンジ色と青色の2種類ありどちらもとっても惚れてしまう、フィリピンのマンゴーはとろけるほど甘いさらに超安い、例によってだらーしなく街を歩いているとマンゴーの木がこれ又だらーしなく道路際に立っていてポロリと実がなっている異次元の世界だよな~。

 ヘリテイジホテルとマニラホテルの中間に長さ2キロ位のベイウオークがベローン(幅20m)とある、外れにアメリカ大使館があり日雇い希望がゾロゾロ並んでいる〝当たり券は少ないケンネ〟と阿呆面して眺めていたら昼間も人が多いのに夕暮れ時に成ると国籍不明のネーチャン、ニイチャン、さらにオカマのネーチャンらがワラワラ登場いつのまにか屋台が開店、へんてこりんな舞台があっちもこっちも!くねくねオカマショーの開演となりこれで朝まであるのだ、なぜか椅子机があってホゲーと座ったらテケテケテケとフィリピーノが来たのですかさず〝ちべたいサンミゲルビールとテラピア〟を注文したらびっくりの速さでこんがり焼けたテラピアとサンミゲルが来た、カラマンシーをぶっかけて仲間と〝旨いネー〟を飛ばしながらサンミゲルをグビグビ、テラピアをパクパクだらしねーくウダウダやっていたら夜明けてしまったのだトホホホ!
 僕は朝市大好きオッチャンなのだ、毎朝1~2時間あへあへ運動しちゃう、ヘリテイジホテルから朝市場へ行って戻る、フィリピンの市場はビルなど殆ど無いトタン屋根シャッター無、店頭の商品が見えない程の人、人、人なんでも超安い製品保証期待するのはヤボ、自分探しの僕は超楽しく面白いのだ、僅かなものを買ってホテルにかえる、人ごみにさらばなのジャー

img-01-003.jpg この国はスペインさんのおかげで教会が多い、中でもメトロマニラのイントラムロスに建つサン・アグスチン教会はフィリピン最古で石造のバロック建築で世界遺産、タクシー代けちってジープニーで〝おろしてコノヤロ~〟と絶叫したら着いた、入り口でローソクと線香を捧げつつ礼拝堂へ足を踏み入れた途端圧巻の装飾美の中、マイクを通じて朗々と伝道師が聖書を詠んでいて驚愕の荘厳感が僕を包みこみ人間の偉大さを改めて思い知らされた。

 マニラ空港から小っこい飛行機のこれまたちっこい座席で1時間フライト、隣りの細長いセブ島に着く、此の島は南北端にサンゴ礁があり世界的人気のダイビングスポットがあるボンベいらずシュノーケルで十分楽しめる、カラフルな魚たちと戯れながら天国を味わってしまう。

img-01-004.jpg セブ島での宿はサン・フェルナンドのプルクラ、なんせプルクラが有るからセブ島にくるっちゅう目の肥えた輩も多い僕もその内の一人なのだワッハッハ?
 全ての客室はスイートのプライべートプール付ビイラ、レースの蚊帳付のべッドは王様ダ~。
 結構うまいフレンチディナーへは一張羅のキザな服で行く、なのにだらしね-仲間はTシャツと短パンおまけにスリッパ〝場を読んでねえな-〟それでもサンミゲルやらワインをグビグビ、日本酒が無いから日本人此処にありとはなんねーけんど、ほろ酔い状態でメインプールでザンブリコ!水につかってちべたいマティーニをチビチビ舐めながらボヤーと空を見上げるとトーチャンも!の星の数、なんぼなんでもこんなにいらねえのになーと文句は言わないけど凄すぎてだらしねー仲間も〝フガ!シーン〟

img-01-005.jpg 僕はどんな国、何処へ行っても魚を釣るのだそして喰らう、プルクラには常時警備員付のプライべートビーチが〝ドデーン〟と有る隅っこのほうでイカの切り身で〝ヲッシャー〟と投げガリガリ引っ張ると釣れたー!何と高級魚〝ラプラプ〟だ、興奮状態で仲間に見せたらシレーとして〝食えるの?〟馬鹿ー 阿呆な仲間は無視、ホテルで調理してもらいサンミゲル片手にガブリンコ!旨め~

 広大なホテルのプライべートべーチには飽きもせず毎日行く、波と遊びプールで泳ぎ疲れたらマティーニをチビチビ舐めながら木陰のハンモックで本を読む数頁で眠りにつく気が付くともう夕暮れだ、マニラのベイウオークでの夕日も同じだけど、この国の夕日は実に鮮やかボケーと眺めていると己の撒いた数々の愚行を全て許してくれそうな気がする、思わず合掌 〝もう日本になんか帰ってやらんもんね〟とぶつぶつ独り言、の間に夕日は沈んでしまった!

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 人様にいばれる程旅の数が多くはありませんが、様々の人との出会い、景色、今まで見たこともないよう建物、旅は僕に人生を教えてくれる、旅は僕の人生そのものなのです。


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一魚一会は波止の上 高松港 サンポート 我ら怪しい釣仲間

井上 輝幸
井上 輝幸
T・R建築設計(株)

釣り歴−約50余年 釣った魚の数...わからん
設計歴−約40年 大中小、合わせて...100件程
釣り歴の方がはるかに永いのである。

 私の釣り好きは、亡き母と母の兄(叔父)のダブルDNAにより、仕組まれているらしい。
 香川県の讃岐富士(飯の山)の裾野、飯山町の大束川と言う川に隣接して、我が家があり、18才迄その地で育ちました、大束川は川巾が約12m、水深は深い所で3m、両岸は自然の樹木が覆い、清く澄んだ川には、鮎とか様々の魚が泳いでいて、夏休みともなると素潜りで、魚とか、カニなど取って、終日過ごしました、この川が私のゲーセンターでした。
 我が母は、家事の合間に家の横から竿をだし、モロコやらを釣って晩飯のおかずにするのだといって張り切って釣っていました。

img-01-002.jpg 母、曰く「趣味と実益なのよ・・・」
 「輝幸、渦巻きの上から餌を流すの、渦巻きをすぎたら釣れるよ」と教えてくれましたが、私はすでにその釣りは知っていましたが、その通りにして、釣れると母は、まるで童女のような笑顔で喜んでくれました。
 そこには、まぎれもなく母と子の会話がありました。

img-01-003.jpg 釣った鮒を、真黒になるまで、皮付きのまま炭火で焼き、その皮を取り除き、醤油と鷹の爪を加えて煮る母手作りの鮒の佃煮は、子供の頃味わった最高の御馳走だった。
つまり私の魚釣りは、釣った獲物を美味しく味わう生存本能なるが故なので、食えない獲物は御遠慮願う事にしております。

img-01-004.jpg 叔父さんとは、和歌山の湯浅湾へ、イサギとかアジを釣りに、大海原へ乗合船で出かけたものです、当時のイサギは大きく40センチクラスもあり、ウリ坊のように小さくありませんでした。帰りの土産は、有名な南高梅ではなく、この地特産の醤油です、この醤油をつけて、酢橘を絞って食べるイサギの刺身は、地球驚愕腹絶品なのでした。
 魚釣りは時々危険なときがあります、仕事にかこつけて日本海へ仲間と行き、仲間の仕事の合間、一人で水面下3メートルほどあるテトラの上で釣っているとき、滑り落ち、ランボーよろしく(この時分はいなかった)命からがら這い上がり、ずぶ濡れのまま震えながら仲間のところに帰ると、
 皆曰く、しれ~として「何か釣れたん・・・」ゴム長靴に、ワカメが空しく泳いでいました。

img-01-005.jpg ゴムボート釣りに嵌った時があり、その当時のメンバーは、
・長老―御年70才、釣りキチ、釣りの誘いは何時いかなる時でも断らない。
・ガチャ郎―某大手電気会社の営業課長、口も行動も兎に角、せわしない。
・すかたん―長老の会社の社員、いつも長老に、どつかれる、万事スローペース。
 このメンバーで泉南(大阪の南、和歌山の手前)の箱作の海岸に、ボート釣りによく出かけました。

 ある秋の夕方500m 程沖の三角テトラへ、夜のチヌ釣りに、いつものメンバーで、出かけました。
 夜の9時頃、誰もが釣れない中、突然長老が、「つ、釣れたー」と云い、そのまま声が消えてしまいました。
 私はあわてて長老のところへ行きましたが、なんと頭がなく足が天に向かってバタバタとしています、あわてて引きずり出しますと何としっかりチヌは手に持っていました、まさに執念です、この日を境に長老は釣神になりました、しかしその後、度重なる失敗で元の長老になってしまいました。

img-01-006.jpg 何時ものある日(何のこっちゃ)、同メンバーで尾崎沖(同じく和歌山の手前)へ朝5時より、カレイ釣りに出かけました、3捜のゴムボートが一斉に浪打際より、今まさに、出走(ゴムボートは出走て云う?)しようとした時、僅かに砕けた波が朝日に照らされ、そこだけ、まるで宝石をばら撒いたような絵の中、なんと、あのせわしないガチャ郎が、本物の逞しい漁師にみえるではありませんか、人間だれしもロケーション次第では それなりに写るものなのですネー。

img-01-007.jpg 高松のサンポートへの波止釣りは、ここ13年位通っています、私はいろんな魚を食してまいりましたが、特に大衆魚のアジとかイワシを今まで沢山食ってきたにも関わらず、サンポートで釣り始めて改めて旨く感じました、なんでかな~。

 例年8~9月頃より、サンポートでは、アジ、イワシがサビキ釣り仕掛けでよく釣れるようになります。
 未だ朝日の昇らない午前5時頃には、お互い名前も知らない釣り仲間がひしめきあい、一斉に竿をだし「さあ、きやがれー」と親父たちは吠えまくります(私も吠えます、ガオー)
 誰かが釣れるとあちらこちらで竿が曲がります、一度に5~ 6 匹掛かりますと手で掴めないものですから床に落ちます、床で魚がピョンピョン、親父はガオガオ、天から魚が降ってきた、おばさん魚と鬼ごっこ「天地鳴動阿鼻叫喚」もう波止の上は上や下への大騒ぎ、ちゃっかりおばさんナイロン袋を手に持って「これ貰っていい~」 おじさん、曰く「いいとも、持っていきやがれ」と江戸っ子風には言いませんでした、あくまで讃岐弁です。

 サンポートに行くときの私は、電チャリに特別仕様のアルミのリヤカーを引いて出動しています(愛車ベンツ1号)、それに椅子やら食い物やら、釣り道具をつんで、まるでピクニックさながらです、釣るときは、大抵、椅子に座り、屋島の上から朝日が顔を出すと、やおらウィスキーをぐびり、まさに至福の瞬間です(釣ってんのかな~)

 ある夜、行きつけの飲み屋のカウンターでサンポートでの釣り談義をしていますと、横に座っているおじさんが、「俺もサンポートで釣ってるよ~」と云います、即、打ち解けてしまい、釣りの話で大いに弾み、その夜は焼酎の量が増えてしまいました、次の朝フラフラでなんとか会社に行きましたが、その日一日仕事に成りませんでした。
サンポートでの釣り仲間は、お互い名前をいいませんが、このおじさんは多田さんと名乗って戴きましたので、私も名乗らせて戴きました、以来この店で二人で飲むようになりました(釣りに酒は合いすぎる~)
 この多田氏は大変ユニークな方で「俺は魚釣りもするけど、人も釣ってるんだ~」
 よく見ると、誰も釣っていない竿が3本、足元にちゃんと餌付で立てかけてあります。
 朝のサンポートでは散歩する人、ウオーキングする人、ジョギングする人が、誰彼となく釣り人に「何か釣れよん」と声をかけます、多田氏は、これと思った人に竿を手渡し釣らせます・・・多田氏に釣られてしまうのです。

 気が付くと、私も多田氏に釣られていました。
 今まで魚は釣ってきたけど、釣られたのは初めてだ~。
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img-01-008.jpg そんなこんなで、今日も愛車ベンツ1号に跨り、怪しい釣り仲間のいるサンポートへ釣りに行くのです。
 これからも、船釣り、磯釣り等、様々な釣りを楽しむのでしょうが、当分、サンポート通いは止められそうも無いな~。


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南緯0度の夜空

大北 和則
大北 和則
(有)住空間設計

 皆さんはインドネシアについてどんなイメージがあるのでしょうか。赤道直下の国で高温多湿、発展途上で人口が多い、観光地が多い等さまざまな印象があると思いますが、それは当たっているけど少し外れているというのが正解だと思います。

img-02-002.jpg  インドネシアの人口は約2億3千8百万人(2010年)国土面積190万km2、それに比べ日本の人口は1億2千8百万人(2010年)国土面積37.8万km2となっている。単純な人口密度の比較で言えばインドネシアの人口密度は日本の約1/3となる。行けども行けども家が無く人に会えない道が続く。赤道直下はスマトラ島の中央部のみで、国土は北緯10度~南緯12度に位置する。それでいて日本の夏より暑くなく、日射は強いものの湿度は低く木陰に入ると驚くほど涼しい。発展途上でもあるが、ジャカルタという大都会があり、日本と変わらぬ生活がある。観光地も無論あるが、それ以上に工業生産国としての地位を確保している。天然資源も豊富で農産物の自給率も100%以上である。したがって国家としてのプライドが高く完全に自立している国なのです。

img-02-003.jpg ところで、もしあなたがこの国で仕事をしようとするとき、中途半端な気持ちではできないことに直ぐ気付くことでしょう。行動するためにはまず、信頼できる仲間がいること、政治的に信頼ができる相談者がいること、私は中途半端な気持ちでここにいるのではない、という気持ちが理解されていることが絶対的な条件になります。
 私が最初にインドネシアに渡ったのは2年前、単純な憧れからでした。「暖かい国でのんびりと設計の仕事ができたらいいな」的な安易な気持ちがそのスタートでした。今でもそのときの気持ちは残っていますし、それが理想です。でもそんな甘い気持ちは最初の半年間でもののみごとに吹き飛ばされてしまいました。

img-02-004.jpg ビジネスにおいては日本ほど融通が利く国民はいないことが良く分かりました。価値観、商習慣、宗教観等の全てがあまりにも違うのです。それが理解できるまでに相当な経費を費やしました。その後ここまでは誰もが通る道、と自分に言い聞かせ挫折せずにこれたのは、やはり仲間の存在が大きかったのだと思っています。そうなってから最初に思ったことはまず一緒にやってきた現地スタッフが生活できるようにしようということでした。建築とは直接関係無いこともしました。当時、他の人が私を見下ろしがちに「一体何やっとんですか?」と言うことをよく言われました。今から思い出すと恥ずかしいことも当時は一生懸命でしたから、特に何にも感じず只々「責任があるんで」と弁明していたことを思い出します。

 現在は自分の夢のルートが出来つつあると言えばいいのでしょうか。まだまだ道半ばではありますが、希望の光も見えてきています。「前進あるのみ」この言葉がぴったりの人生になってしまいました。一番最初に渡ったインドネシア、スマトラ島のジャングルで見上げたなんとも言えぬ美しい星空が、自分の未来を物語っている気がして子供のように胸が高鳴り高揚したことを忘れないよう、仲間とともに頑張って行きたいと思うこの頃です。

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年末恒例 北浜アリーの餅つき(^^)!

井上 輝幸
井上 輝幸
T・Rアーキテクチュアル・コンサルティング(株)

 北浜アリー(通称)は、食料品等の港湾倉庫群として戦前にJAが建てました。
 当時は倉庫前の岸壁に貨物船が横付けをし、小麦粉など食料品等が保管され、各所に配送され賑わっていたようです。
 当倉庫は5棟が連なっており、棟毎に区切られています。木造平屋建て、トラス組真壁造、梁間10.80m、軒高9m、奥行き36m、内部は白の漆喰壁、90センチ間隔の柱と筋違が壁に表れ、天井無の大空間は他に類を見ないものです。
 屋根はセメントスレート葺き、波型鉄板スレートの外壁は、幾星霜の潮風と風雨に晒され赤く錆びついています。海上の波のざわめき、行き交う船の臓腑に響くエンジン音、遠くに聞こえる汽笛。
 そして倉庫の赤錆の壁、それぞれが重なり合い、見事なハーモーニーとなって哀愁を誘います。
 20年前、此の貴重な文化遺産を保存すべくJAの了解の元、井上商環境設計(株)・代表 井上秀美氏が開発を行い、県内外の優秀なテナントを募集、現在は、飲食店(イタリアン)、美容院、ショットバー、カフェ、雑貨店等が営業しています、井上氏自らも、JAの元寄宿舎をリフォームし、雑貨+カフェ(ナージャ)を営業し常に話題を提供しています。
 北浜アリーの醸し出す、独特のノスタルジックな雰囲気が反響を呼び、開発当初から、雑誌の表紙、テレビの取材等に再三取り上げられ、不動の観光スポットとして県内外の観光客が来訪、食事もできる、デートスポットとして終日賑わっています

img-01-002.jpg  恒例の≪餅つき≫は中国蘇州の煉瓦を敷き詰めた北浜アリーの中央広場(通称煉瓦広場)で毎年、年末に行います。参加者がついたお餅を、ボランティアの方々がその場で、ぜんざい・雑煮を拵え振舞い、小餅のお土産もついています。
 毎年参加者は増えているようです(昨年600人~700人)一般参加の他に著名な国会議員の先生、歴代の県知事、市長、又、サッカーのカマタマーレの選手たちが、子供達と一緒に餅つきを楽しみ、賑わいに華を添えています。会場には餅つきの他に、各島々より新鮮な野菜、イチゴ等の直売もあります。

 更に、たこ焼き、うどん等の屋台もあり時間を忘れそうです、最近は太鼓ショーがあり、幼い子供が大人に交じって秀抜の演技をしており、思わず見入ってしまいます。
 来客の駐車場の整理、会場の設営、ゴミの回収等は、全てボランティアの方々の協力により行われ、人と人との心の温かさが胸に沁みわたります(ボランティア 北浜男組 代表後藤氏)餅つきは、古来より日本文化の一つとして継承されてきましたが、店頭で出来合いの餅が並ぶようになり、それにつれて各家庭で行わなくなったようです、それ以前は各家庭で、又、親戚縁者が集まり年末の恒例行事として行われておりました。
 新年を迎える為の儀式でもあった様です。

 北浜アリーでは、失われつつある大切な日本文化の、餅つき、を広く継承しようとしています、親から子へ、その子から子へ伝わっていくことを願って・・・

 チケット 1枚− 500 円(ぜんざい、雑煮、小餅)

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さぬき市地域活性化事業 旧多和小学校でどぶろく造り!

神余 智夫
藤岡 旭
(有)藤岡総合設計

 さぬき市南部の山間にある旧多和小学校は、2年前に閉校になり残念なことに子供たちの声は聞こえなくなりました。しかし今は地域の方々の元気な声が聞こえます。
 閉校が決定した頃より、閉校後の跡地利用を市と共に地域住民が一緒に考え形にしつつあります。

img-02-002.jpg  この地域は山間部で災害時には孤立の恐れもあることから、旧多和小学校は地域防災拠点の大きな役割をも果たす特に大切な施設と捉えており、また地域活動の中心的活動の役割が大きかったことから、住民がいきいきと暮らしていけるように施設整備をして複合的地域間交流施設として有効活用する取組です。
 特にこだわったところは愛着のある旧小学校をそのままの形で活用することでした。

img-02-003.jpg 閉校後の翌月4月地域の方々に地域活性化アイデアを募集提案して頂いたところ、農産物販売・お遍路プロジェクト・どぶろく製造販売・天体望遠鏡博物館等たくさんのアイデアを頂きました。住民の意識が高くとにかく始めてみようと決めました。私だけでなく地域の方々自身が、元気でいきいきと暮らせるようにしたいと考えていることに本当に嬉しく思いました。
 8月には会を発足し各地区より代表者を選出しました。週末毎に会合し、どうなりたいのか?どうしたいのか?何をすればよいかを話合いました。

img-02-004.jpg どぶろく製造に関してまったくの素人でしたので、まず多和地区全戸に製造販売所への視察研修会を案内周知したところ121人もの多数の参加により、皆の理解と親交を深める事が出来ました。これが一番の収穫かもしれません。

img-02-005.jpg 特に製造に関しては、さぬき市の協力のもと県・国に働きかけていただき平成25年3月末には香川県初のどぶろく特区に認定されまた。認定されたことにより一気にどぶろく製造施設の整備が始まり施設整備はさぬき市が、製造に関する機器等は有志による出資という形での出発でした。
 昨年9月には、待望の多和産の新米によるどぶろくの仕込みを開始し、毎日温度管理をして良いどぶろくが出来る様祈りつつかき混ぜ作業を毎日行いました。初めてどぶろくが出来上がった時は本当に嬉しく、出来具合も良かったので皆で大喜びしました。

img-02-006.jpg 11月オープン当初400本販売予定のどぶろくは初日に完売してしまい2日目に早くも予約販売となりましたが、現在ではコンスタントに仕込んでいる為お待たせすることなく販売が出来ています。
 農産物直売所はオープンに向けて地域住民総出で連日夜遅くまで作業したにもかかわらず、そこには笑顔と活気に溢れていて地域の団結力の凄さを思わずにはいられませんでした。感謝です。
 直売所オープン時には天体望遠鏡博物館のご協力により、貴重な望遠鏡で金星と月の観望会も実施しました。
 平成24年12月には、隣接する旧多和保育所に薬局を併設する診療所が出来て、山間部の高齢者にとって本当に安心できる公共サービスの場所となっています。
 ここまで旧小学校の活用経緯等を書きましたが、これから施設を案内いたします。

img-02-007.jpg  まず県道より煉瓦造りの旧小学校が見えますので校庭へどうぞ!皆様を校庭南にシンボルツリーである銀杏の木がお出迎えします。校舎前には手作り感満載の農産物の産直市です。地元70軒のご協力により旬の農産物等販売をしています。続いてそのまま一階校舎内へ入ると作品等の販売コーナー。旧教室はそのまま利用していますので低学年教室の雰囲気と黒板等が懐かしく感じられると思います。

img-02-008.jpg次に、その右隣りの入口にある大きな杉玉の奥へ入ると併設されたカフェ(笑)があります。実はサインもそのまま「校長室」なのです。来場者の方々は昔恐れ多くて入れなかった校長室で当時にタイムスリップしながらコーヒーを飲んでいます。校長室を抜けると東二階です。こんなに段が低かったかと思う懐かしい階段を上がるとだんだん米麹の好い香りがしてきます旧ランチルームを利用したどぶろく製造販売所です。

 では次に西二階の教室部分ですが、ここは平成27年より天体望遠鏡博物館になる予定です。建屋内に据付型大型望遠鏡を設置して主に天体望遠鏡を設置するほか、各教室には展示室・光学実験室・資料室・修繕室及び保管庫等として多数の望遠鏡を配置する世界に類を見ない天体望遠鏡博物館が整備オープン予定です。

img-02-009.jpg  これからの耐震補強工事等にも住民の期待は大変大きく、安心安全が守られ、地域住民がいきいきと笑顔で暮らせ、日々疎遠になりがちな高齢者にも気を配れるような中心施設として活用出来る事は、建築士として古いものも生かしつつ新しい地域の輪作りに役立てる喜びを感じています。
 この事業を通じて、建物ひとつにも人々の心の扉が開くのだと感じ責任の大きさを痛感いたしました。


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設計人生40年の記憶... 心のあり方...心地よい治まりどころへ

神余 智夫
入江 英樹
入江建築設計事務所

 先週、久々に新幹線で寛ぎながら、熱田神宮(神明造り・愛知、草薙神剣くさなぎのみつるぎを祀ってから昨年で1900年、遷座は平成21年10月10日)を訪ねる事ができました。参拝の後、境内の「こころの小径」をひと回り散策して......歩き疲れもあり、妻と「宮きしめん」を味わいながら40年の設計人生・心のあり方...について、ぼんやり回想に浸っていました。
 あくる日は、久々に明治村の旧帝国ホテルまで足を伸ばして一昨年の芦屋・フランクロイドの「旧山邑邸(ヨドコウ迎賓館)」、「旧甲子園ホテル(武庫川女子大学甲子園会館)」の余韻と遠藤新、谷川正巳等も久々に脳裏を掠めつつ渋い装飾空間をゆっくり楽しむ事ができました。
 又、一月には因幡国一之宮・宇倍神社(因幡国の国庁、国分寺、国分尼寺等のからみ...)に参拝でき雪景色の鳥取砂丘にも新鮮な気持ちにさせられました。
 昨年は、瀬戸内国際芸術祭での島巡りに忙しかった事もありましたが、予定していた、初春と秋の伊勢神宮・式年遷宮と5月の出雲大社の遷座祭には参拝できました。趣味となってしまった寺社巡りは相も変わらず続いています。そして、何処へ行くにも一眼レフカメラと、最近は折畳み杖を伴っています。
 私の設計人生40年目を迎えては、何かと賑やかな年でした。富士山の世界遺産、四国八十八箇所霊場もその登録への話題と開創1200年を迎える話題を始め 何かと周年事業の話題が飛び交っていました。
 備讃瀬戸の国立公園制定80年......環瀬戸内海エリアとしての多島海景観と文化的景観を思う時、城山城、屋島城等のからみ...が脳裏に浮かびます。
 そして、瀬戸大橋線が開業25年......以前、金子正則元知事から、自著「英知・創造・愛 −時にふれ 人にふれ−」を丁寧なサイン入りで手渡しされて、建築知事の弁...としての建築論、ブルーノ・タウト等、興味深い話の中に「瀬戸内地域を中心として ~中略~ 本土、四国、九州間の連絡強化は最も緊急を要する課題であり、また瀬戸内循環交通体系の確立という見地からも、この連絡ルートの早期建設が強く望まれている。~後略」の地図のページを示し「瀬戸大橋計画にはこの九州ルートもあったんだよ.........」と熱っぽく語られたことがはっきりと思い返されます。併せて、主要台風航路図等からもわが香川がいかに災害に合わない土地柄で恵まれているかを、その時改めて知らされました。
 システィーナ礼拝堂が500年、ちなみにディズニーリゾートが30年、東京タワーが開業55年と聞くとゴジラの映画に感動した子供時代を思い出します。
 そして、2000年問題に続くパソコンの2014年問題でもXPからWindows 8.1にとりあえず3台を経過的に入替えしましたが、乗り換えには苦労しました。思い返せば、初めてのパソコンが「PC9801M2(5インチFD)」でワープロも「松」から「太郎」そして「一太郎」へ...、表計算も「マルチプラン」から「ロータス123」という時期でもありWindows 3.1も当時は衝撃的な感がありました。
 祖父が大工、父は教職系の建築家という事もあり、我が家には古い寺院、洋館等の雛形も含めて多くの建築関係書が残っていました。その環境のせいか物心がついた頃から建築を意識していたし、父と共に建築行脚らしき日々もありました。自分の進む道は建築しかないと感じた高校時代、そしてその魅力は未だに色褪せてはいません。
 東京西麻布でのワークから、香川県立高松工芸高校建築科・教職の世界に一度は建築人生を夢見たこともありましたが、3年後建築設計の魅力には勝てず実務に入りました。
 父・(稔)は私の設計人生の根底に関わる計り知れない影響力があり、母も教職系でした。そして師でもある内井昭蔵先生は以前からその設計姿勢も脳裏に焼き付いており、作品が私に影響を与え続けてくれました。この1月に文芸春秋誌で内井奥様の回想の随筆が目に留まりました。生前内井先生が新居浜の仕事で来県の機会に合流し、多くの会話に夢中になり相当飲みすぎてしまったことを懐かしく思い返しました。
 その父(稔)の没年まで後1年半程となりました、そして、友人(同期)のY君、O君が逝ってから8年が経ちました。その頃から私の還暦を境に、仕事の流儀とアトリエのあり方に大きな軌道修正をかけてきました。
 設計人生・最大のターニング・ポイントとなったのは、父・稔の縁による、J学園・故O理事長ご夫妻との出会いでした。何回か学園90周年計画等の事例・課題を出され、夜を徹して夢中でコンセプトをまとめ、あくる日O先生に計画・設計イメージの思いを訴えたことが懐かしく思い返されます。「わかった、これからは入江君に任せる......」とのO先生の一言で、私の設計人生が決まったと言っても過言ではありません。
 折りしも、木造校舎から鉄筋コンクリート化への学園整備計画とも重なり校舎等の計画が次々と具体化していきました......。
 それから、O先生のお供で色々な施設の見学旅行が始まりましたが、徐々に、忙しいO先生の代理として多くの施設の見学に赴き、逐次報告したのを懐かしく想い返されます。総合私学としてのマスター計画、学校法人としての中・高等学校、短期大学、専門学校、幼稚園、そして社会福祉法人としての施設の計画もあり、さらにランドスケープ、オブジェ等、デザインワークはどんどん広がっていったことが懐かしく想い返されます。
 90周年記念誌は最終ページにイラストパースを描かせて頂きました。さらに100周年記念の1000ページを超える百年史には、担当した100周年記念武道館、90周年記念体育館等が鳥瞰航空写真で見開きページを飾っていたのを思い出します。女性的で端正なシルエットの体育館と、男性的で荒々しいディテールの武道館が校庭を介して正対して佇んでいる様は、私にとって学園の原風景とも重なっています。
 特に、K短期大学新宇多津キャンパスに於いては、候補敷地の選定に同行助言し、又新設大学構想段階での長期に渉る視察旅行には代理として相当数の新設大学にも赴きました。

img-01-002.jpg  山を切り開いた、新設のS中学校・高等学校(一貫教育)の新キャンパス計画でも多くの助言を求められ総括監理担当としての調整役も果たし、設計段階でも、一貫教育・進学校で有名な愛媛・A学園の見学に同行し、複雑な課題への解決策を議論・模索したこともありました。
 H島・林間キャンパス計画は給水船の関係で計画の見直しが、K看護・福祉専門学校新キャンパス計画でも見直しとはなりましたが、O先生とはプレゼン時以外でもよく熱い議論を交わしていました。
 M研修施設計画も、やはり土地探しで、車内でもロケーション等の構想を語り合いながら...眼前のA島との関連構想から カッター艇庫・施設の活用に至るまで.........いつまでも会話が続いていたものです。
 又、先生を介して、教育関係、芸術関係、宗教関係等、多くの人脈にも恵まれました。そして...40年... ご子息の現理事長ご夫妻共々、本当に長いお付き合いをさせて頂いています。今は亡きO先生ご夫妻には本当にいくら感謝しても感謝しきれないと思っています。
 先月の、香川県埋蔵文化財センターによる「讃岐国府跡現地説明会」の前日は何十年ぶりの大雪でした。自宅でも、トップライトガラスへの度重なる雪の落下音に驚き、少し不安感もあり、雪国の大変さを改めて実感できた一日でした。
 後日開催された、平成二十五年度讃岐国府跡探索事業成果報告会「讃岐国府を語る」於坂出市民ホールでは、新しい発見の報告に盛り上がっていました。さらに、大宰府から畿内への「山陽道(大路)」インフラを軸に、四国の「南海道(小路)」に纏わるロマンを感じざるを得ませんでした。
 「瀬戸内海―海と人の歴史」・香川県立ミュージアム講座の「古代の海の道」も、古の物流と人の流れを垣間見た感があり楽しめました。
 今、展示中の「古地図展」於多度津資料館も興味深く拝見しました。又「郷土の歴史講座(遠藤亮)」於丸亀中央図書館の「本島木烏神社~異形鳥居の謎を解く」から話が及んだ長崎街道のロマンにも関心が向いています。
 悠久の祈りの空間、心のおき方といったことに興味が出てきて、寺院、モスク、礼拝堂等の宗教建築への関心が続いています。又、古代にも興味が出てきたようで、先日も香川オリエントセミナー「メソポタミアの夜明けに迫る−再開されたイラク・クルディスタンの遺跡調査(小高敬寛)」於中津万象園も楽しめました。
 昨年は自分を見つめ直す意味もあり、春季研修は新教皇就任後のヴァチカン等、秋季研修はイスラムの色濃く残るスペイン・コルドバ等となり、締め括りとしては今春スコットランド等で予定しています。

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img-01-004.jpg 20周年時には「建通新聞・入江建築設計事務所20周年特集号」を多くの方々の協力で発行させて頂きました。父・(稔)に関しては、卒業設計の「サナトリウム」の図面(学会誌に掲載)、プロフィール等、を紹介しています。
 これまで人脈系を大切にしてきたのでホームページは作っていませんが、ささやかなPRとしては、「ナイスタウン」誌より「イエプロ「iepro」創刊特別号」に、又「香川こまち」別冊の「香川の建築家」には掲載させて頂きました。
 福祉のまちづくりアドバイザー(香川県)第1号として参加した「天満屋ハピータウン善通寺店」と、防災評定申請に手間取った「宇多津ビブレ」の閉店に接し、一つの時代とはいえ設計に関係した者として悲しい思いがしています。
 当アトリエの東京窓口でもある長女「入江亜季」の単行本 "群青学舎(全4巻)"、"乱と灰色の世界(5巻~以後連載中)" 等が、台湾角川版、フランス語版、ハングル語版、昨年の中国語版と国際的になってきたのか、「有名人・一流高校人脈」産経新聞社刊に掲載され少し戸惑いながらも喜んでいます。
 昨年は新東京駅、新歌舞伎座(東銀座)の杮落としを家族で楽しむことができました。そして、心地よい吃水面納まりの佐川美術館では久しぶりに好みの茶室空間の余韻に浸ることもでき、先日はマンドリン演奏の金属弦の音色に改めて酔うことができました。心和むひと時を大事にしたいと思っています。
 職住一体を前提としたアトリエ・設計事務所という設計人生に憬れての、生き様としての40年、その間ロータリークラブとのお付き合いも30年近くなり、メンバー等との心なごむ出会いも毎週の楽しみとなっています。
 そして、妻の理解とスタッフに恵まれた40年でした。感謝です。私も66才となり、これからの納得のいく設計人生を手探りしながら、今年はいくつ良い思い出を創れるかを楽しみにしています。

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香川大学教育学部附属坂出小学校 創立100周年記念事業 −スクールデコレーション−

神余 智夫
神余 智夫
(株)清和設計事務所

 附属坂出小学校は、平成24年度に創立100周年を迎えました。その記念事業の航空写真撮影時に、PTAで校舎にリボンをかけるスクールデコレーションという事業を実施しました。


 大きな記念の年に、何か子供たちへのインパクトがあり、かつ、メッセージ性のある事業を模索していました。そして、リボン的なものを装飾してはどうかというアイデアからスタートしました。

img-01-003.jpg 設置から4カ月ほど前、どのようなデコレーションをするのか、保護者によるワークショップを実施しました。多くの保護者から盛りだくさんの案が出ましたが、最終的に大きなリボンに集中しようということになりました。

 そして、リーダーを務めた保護者の方がリボンの試作の模型を作り、全体の設計をどのようにするかを考えました。8mものリボンは、布地自体を補強材で強度を高めたり、かなりの部分を室内作業で進めるために、屋上に事前に設置しておく土台と、布地を取り付けている土台を分割して設計することにしました。また、布地の土台は、教室の扉から出すことのできる大きさで19パーツに分割して設計を行いました。

img-01-005.jpg 部分的な試作を積み重ね、全体の計画が見えてきたところで、本格的な製作に取り掛かりました。保護者に協力を呼び掛けたところ、平日にもかかわらず多い時には80人以上もの方が集まり楽しく作業を行いました。150mもの布地に補強材のアイロン掛けをしたり、家庭科室でミシン作業をしたりと、子供たちも保護者が作業する光景を不思議そうに見ていました。

 また、土日を利用して、お父さん方にも協力してもらい、土台の大工仕事や、曲線用の番線の編み込みを行いました。
 パーツが完成したところで、室内での仮組みを行いました。広めの教室を借りていたのですが、あまりもの大きさに全体像が見えづらいほどでした。特に結び目のところの表現はとても難しい作業になりました。

img-01-007.jpg また、リボン以外にも窓周りや屋上に風船で飾ったり、100周年記念ロゴを大きく飾ることも計画しました。またまた保護者が80人近く集まり作業を行いました。学校のいたるところで保護者が作業をしている状況でした。

 設置本番の2日前の日曜日を利用し、1段目の土台製作と、2段目の土台パーツの運搬、仮組みを行いました。屋上の防水の養生から、足場の設置、材料の調達運搬など、工事現場並みの大作業となりました。

 撮影当日は、早朝から組み立て作業、リボンの最終製作と風船などの設置を行いました。平日にもかかわらず120名の保護者が集結し、多くの持ち場に分かれて作業を行いました。そして、11時30分の撮影のぎりぎりまで、リボンの微妙なふくらみの調整や、帯の垂れる角度の微調整の作業を進め、ついに完成することができました。

 空撮のセスナやNHKの取材ヘリが小学校の上空を旋回する中、撮影の瞬間を子供たち、先生方、保護者が固唾を飲んで待っています。しばらくたって教頭先生から撮影終了の号令がかかり、拍手と歓声が沸き起こりました。そして、保護者の方々も涙を流しながら成功を喜びました。

 延べ1000人もの保護者の労力によるプロジェクトでした。5分間のNHKの特集ニュース放映の直後、私が子供の頃の複数の恩師から電話があり、「感極まってニュースを見たよ、ありがとう」と言っていただきました。

 これまで小学校を支えてくれた方々への" 感謝" と、今を支える人たちの" 絆" をメッセージすることができ、子供たちの心に深く刻まれた事業になりました。  多くの人たちの様々な知恵や経験や情熱と、建築士のちょっとしたサポートが実を結んだことで、大きな感動を実現することができた貴重な成功事例となったと思います。




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