
Top>会員投稿>会員シリーズ: 2014年6月

今から四十数年前、高松市役所に入った時期、私の顔を見る度「親を大事にせーよ」と説教気味に云う人がいました。
父の今は亡き友人で、一代で財産を築くなどバイタリティに富、人生経験豊かな人で、一言々がユーモアに溢れ大変為になる言葉を数多く聞かされました。
建築課
市役所では、当初建築課にて市有建物のプランニング・実施設計・構造設計・積算・工事監理と一貫して一つの建物を任され、創造の楽しさとともに喜びを感じる毎日でした。
また、設計事務所・施工者の方々にお願いしている案件についても連絡係として奔走いたしましたが、設計事務所、工務店の皆様方の輝いていたお姿が今でも鮮明に思い出されます。皆様若うございましたし、教えも頂きました。オイルショックの折には膝詰めの交渉もありました。あれから四十年、事務所協会総会等でお会いする度に当時の事が思い出されます。
建築指導課
建築課十年経過後、今日の礎となる法律を扱う建築指導課へ配属となり、定年まで二十数年間の長きに渡る建築行政に関わることになりました。
丁度新耐震構造基準が施行された翌年で、プログラム計算が世に出始めたばかりでした。構造担当として毎日が勉強で、構造設計者の方々とはよく対立しました。先の東日本大震災においては、新耐震建物の被害はなかったということで法律改正の効果がでています。
その後、建築関係法の周知啓発、市民の苦情や違反等の対応に従事、そして建築主事として、更に都市計画法に関する開発許可にも関わり、人それぞれの生活を左右する重要な判断を求められることとなりました。
建築指導課では、様々な人たちと関わりました。エゴの固まりで好き勝手な要求をする人たちには価値観を見いだせなかったが、真面目に事を進めている人たち、本当に困っている人たちの要求には、何とか実現していただきたいと思うわけで、法律の規制とどう折り合いをつけるかが問題となるわけです。
ここで、父の友人の言葉が活きてくることになったのです。
「事業をしていると、一生に一度は無理を聞いて欲しい事があり、その時に手を差し伸べると、その人の将来を活かせることができる。」
法律は誰のためにあるのか、建築主、企業側(設計者、施工者)、規制する側にとってそれぞれの行為に対して身を守ってはくれますが、やはり建物により影響を受ける利用者、周辺の住民等の為に有るとの立場で判断すると、答えは自然に出てくるものではないか、このように考えるようになり、これが私のポリシーとなり、都度々状況に応じた解釈をしてきました。
「法律判断は責任を伴い、反面その人の度量が試される。」
事件は突然にやってきました。そう、耐震偽装問題です。確認処分した計算書をすべてチェック、幸い高松市内には該当するものは有りませんでしたが、やはり建築主事、課の責任者として気は揉みました。その後確認申請方法が厳しくなって、現場の融通が利かなくなるなど、建築士の尊厳が大きく損なわれることになったのです。
ERI入社
その熱りが冷めぬうち、市役所を定年退職し、現在の日本ERI株式会社に縁があって入社することができました。
確認部長としてなら何とか務まるのではないかと入社したものの、半年後支店長を命じられ、市役所での経験が営業に如何に活かされるか考える暇もなく、営業に飛び込むことになったのです。
しかしながら、心配の中多くのご支援を頂き、昨年、会社起業時からの方針であった東証一部上場を果たし、高松支店もその一翼を担うことができました。
これも一重に皆様方のご支援の賜物でございます。誠にありがとうございます。
今日まで私の人生も順調に事が運び、これも親・ご先祖さまを大事にしてきた結果かと思っておりますが、大事にしなければならない親とは、いままでお世話になった方々ではないのか。「お世話になる人は、皆親」
人は人の支えがあって成り立っているもので、世の中、自分だけで事が進んでいるのではない。幾つになっても人の世話になる。ということを肝に銘じて、父の友人の言葉が思い出された次第です。
最後に
現職に就きまして、早5 年が過ぎました。慣れない営業に苦労しておりますが、会員の皆様のご支援を頂き、今日に至っております。
引き続き頑張って参りたいと存じておりますので、どうかこれまで以上のご愛顧のほど宜しくお願いいたします。
会員シリーズ: 2014年6月アーカイブ
-(会員シリーズ)過ぎし日を語る - 宮武茂基
親を大事にせーよ

宮武茂基
(日本ER(株)高松支店)
今から四十数年前、高松市役所に入った時期、私の顔を見る度「親を大事にせーよ」と説教気味に云う人がいました。
父の今は亡き友人で、一代で財産を築くなどバイタリティに富、人生経験豊かな人で、一言々がユーモアに溢れ大変為になる言葉を数多く聞かされました。
建築課
市役所では、当初建築課にて市有建物のプランニング・実施設計・構造設計・積算・工事監理と一貫して一つの建物を任され、創造の楽しさとともに喜びを感じる毎日でした。
また、設計事務所・施工者の方々にお願いしている案件についても連絡係として奔走いたしましたが、設計事務所、工務店の皆様方の輝いていたお姿が今でも鮮明に思い出されます。皆様若うございましたし、教えも頂きました。オイルショックの折には膝詰めの交渉もありました。あれから四十年、事務所協会総会等でお会いする度に当時の事が思い出されます。

建築課十年経過後、今日の礎となる法律を扱う建築指導課へ配属となり、定年まで二十数年間の長きに渡る建築行政に関わることになりました。
丁度新耐震構造基準が施行された翌年で、プログラム計算が世に出始めたばかりでした。構造担当として毎日が勉強で、構造設計者の方々とはよく対立しました。先の東日本大震災においては、新耐震建物の被害はなかったということで法律改正の効果がでています。
その後、建築関係法の周知啓発、市民の苦情や違反等の対応に従事、そして建築主事として、更に都市計画法に関する開発許可にも関わり、人それぞれの生活を左右する重要な判断を求められることとなりました。
建築指導課では、様々な人たちと関わりました。エゴの固まりで好き勝手な要求をする人たちには価値観を見いだせなかったが、真面目に事を進めている人たち、本当に困っている人たちの要求には、何とか実現していただきたいと思うわけで、法律の規制とどう折り合いをつけるかが問題となるわけです。
ここで、父の友人の言葉が活きてくることになったのです。
「事業をしていると、一生に一度は無理を聞いて欲しい事があり、その時に手を差し伸べると、その人の将来を活かせることができる。」
法律は誰のためにあるのか、建築主、企業側(設計者、施工者)、規制する側にとってそれぞれの行為に対して身を守ってはくれますが、やはり建物により影響を受ける利用者、周辺の住民等の為に有るとの立場で判断すると、答えは自然に出てくるものではないか、このように考えるようになり、これが私のポリシーとなり、都度々状況に応じた解釈をしてきました。

事件は突然にやってきました。そう、耐震偽装問題です。確認処分した計算書をすべてチェック、幸い高松市内には該当するものは有りませんでしたが、やはり建築主事、課の責任者として気は揉みました。その後確認申請方法が厳しくなって、現場の融通が利かなくなるなど、建築士の尊厳が大きく損なわれることになったのです。
ERI入社
その熱りが冷めぬうち、市役所を定年退職し、現在の日本ERI株式会社に縁があって入社することができました。
確認部長としてなら何とか務まるのではないかと入社したものの、半年後支店長を命じられ、市役所での経験が営業に如何に活かされるか考える暇もなく、営業に飛び込むことになったのです。
しかしながら、心配の中多くのご支援を頂き、昨年、会社起業時からの方針であった東証一部上場を果たし、高松支店もその一翼を担うことができました。
これも一重に皆様方のご支援の賜物でございます。誠にありがとうございます。
今日まで私の人生も順調に事が運び、これも親・ご先祖さまを大事にしてきた結果かと思っておりますが、大事にしなければならない親とは、いままでお世話になった方々ではないのか。「お世話になる人は、皆親」
人は人の支えがあって成り立っているもので、世の中、自分だけで事が進んでいるのではない。幾つになっても人の世話になる。ということを肝に銘じて、父の友人の言葉が思い出された次第です。
最後に
現職に就きまして、早5 年が過ぎました。慣れない営業に苦労しておりますが、会員の皆様のご支援を頂き、今日に至っております。
引き続き頑張って参りたいと存じておりますので、どうかこれまで以上のご愛顧のほど宜しくお願いいたします。
