中野 晃利
Teru 一級建築士事務所
立春の候、貴社いよいよご清栄のこととお喜び申し上げます。
私は、平成31年に関東よりUターンというかたちで香川県に帰郷し、そして設計事務所を起業を致しました。
平成5年4月に村本建設㈱に入社し、北関東支店に配属され、その年の12月史上最大の倒産(負債額で最終紙面上約7千億円と記載され、それまでの三光汽船約3千億円の倍の負債額)の真っ只中でおりました。そして当時最初の会社更生法が適用されました。その会社更生法というのは、執行役員に代わり国より選ばれた管財人が運営を行い当時500現場以上あった現場の利益のあるものを100現場程度選抜し引き続き工事を行い、利益のないものは、切り捨てるといったものでした。
まさに当時の私の現場は切り捨てられる現場でした。4億円程度の賃貸、最上階がオーナーマンションの1人現場でした。(このオーナーが東京での1の恩師、親代わりとなります。)
その後村本建設を退職し、オーナー直で給与を頂き現場管理を行い、下請業者もオーナーが直接取引を形態(※当にコンストラクションマネジメント)を30年前に確立し、そして翌年5月に竣工を迎え、そして廃業となりました。
そして身寄りもない東京でいろいろな人伝えで面接を受けました。(約30社程度)
しかし、免許を有しない、バブル崩壊の世知がない東京で受け入れてくれる会社はありませんでした。
そして、香川に帰ろうかなと思っていた時に前の会社の紹介で面接を受けた方が当時埼玉土曜会の談合問題で、明記できませんが、ドンと言われた方でした。
土木出身の方で当時のザ・土建屋の風貌が溢れ出たような人で、若く物怖じしない私は、今までの経緯をただただ正直に話し、思いをぶつけました。結果、面接が終わった瞬間" 2週間後にうちにこいや" とおっしゃって頂きました。
年商200億円程度の会社でしたが、この会社で2人目の恩師と出会います。
そしてこの会社で結婚し、第1子に恵まれます。
しかし、3年程で破産となります。この時私は、まだ25歳でした。
前回倒産の種類も違いますが、一番大きな違いが家族を持ったことでした。
独り身とは違い2人の家族に飯を食わせねばという思いと第二の恩師 眞下氏の協力もあり規模は小さい会社でしたが、都民住宅や公社からの発注の仕事がほぼ100%の賃貸マンションを施工する会社でした。またダイヤモンド紙には、急成長東京の企業ということで5位以内に入っていた企業でした。
入社後、2年で一級建築士、一級施工管理技士を取得し、第2子も授かり、設計主任を経て現場代理人も複数勤め(今ではあり得ませんが・・・・)、他現場監理も併せて行っていました。順風満帆でこのまま波に乗るのかなっと思いきや・・・・
今度は民事再生法という形で倒産してしまいました。
係員の時に会社更生法(倒産)、主任の時に破産(倒産)、現場代理人の時に民事再生法(倒産)と子供を授かる度に倒産というのが東京にいっての10年間でした。そして3年の間、紆余曲折を過ごしました。
4年目の夏に、恩師の眞下氏のお誘いで(株)NIPPOコーポレーション建築部に入社しました。
入社後は、現場代理人・事業所長として下記のような現場を手懸けました。
以上を含め約20現場、100億円の出来高をこなしました。
多少、畑が違いますが、今までの経験知識、そして人脈を活かしものづくりを通じて香川県の社会貢献をしていきたいと思いますので、今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。